幻の職人業・背中流し師「三助」って?

お風呂文化の日本には、三助(さんすけ)という有料で背中を流す仕事があったのをご存知ですか?歴史を辿れば諸説ありますが、なんと奈良時代から。今回は、三助という仕事について、調査しました。

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背中流し師 三助という職業を知っていますか?

背中流し師「三助」 背中流しの写真
出典:地上で読む機内誌 ペーパースカイ 公式サイト

昔の銭湯には、有料で背中を流す「三助(さんすけ)」がいました。三助のメインの仕事は、番頭でしたが、釜焚き(お湯を沸かすこと)、背中流し、風呂掃除と三役をこなすことから、「三助」と呼ばれていました。

江戸時代の浮世絵にも姿が残る

三助の歴史は、銭湯の歴史にも重なり、古くは江戸時代の浮世絵に三助の存在が資料として残っています。

BOSSのCMに出演。三助の存在が再度クローズアップ


相次ぐ銭湯の閉鎖に比例し、三助の存在は減り続けます。しかし2009年のサントリーBOSS 贅沢微糖「銭湯」編にて、日本最後の三助である橘秀雪さんが、伊藤淳史さんと北島三郎さんと一緒に出演。橘さんが伊藤さんの肩をもみ、桶になみなみと注がれたお湯を肩からバサーッとかけると、ハァーッと深い安堵の息をもらす伊藤さんの気持ち良さそうな顔!このCMをきっかけに、三助の存在が全国に知られることになりました。

日本最後の三助 橘秀雪さん

最後の三助である橘秀雪さんは、富山県氷見市の農家の四男として生まれ、15歳で中学を卒業すると、「いつか自分の銭湯をかまえる」というひとつの決意を胸に、東京にやってきました。当時、大盛況だった銭湯業界に働き口はいくらでもあり、いくつもの浴場に番頭として勤めていました。

最後に勤めた東京・西日暮里にある斎藤湯

橘さんが最後に勤めた銭湯が、東京の山手線日暮里駅から徒歩5分の場所にある斎藤湯です。BOSSのCM放送後、北海道から九州まで伝説の三助さんに背中を流してもらいたい銭湯ファンが駆けつけたそう。

申込みの作法「ながし」の木札

背中流しを頼む時は、番台で400円を支払い、「ながし」の木札を持って入浴へ向かいます。ほどなく三助さんが登場して、背中や腕などこすってもらいます。多い時は、1日に15人ぐらいになる時もあったそう。

マッサージもしてくれる

背中流し後は、タオルを肩の上にかけて、その上から軽くマッサージをしてくれるのです。

最後の三助 引退

50年以上、人々に愛された「ながし」も橘さんが高齢のため、2013年12月29日をもって引退されました。後継はなく、日本のお風呂文化の一つだった「三助」も残念ながら終わってしまったのです。

おわりに

今回は、日本文化の一つだった最後の三助さんは引退され、お風呂文化の一つは消えてしまいました。しかし伝えたい日本のお風呂文化の一つとして、背中流し師・三助にスポットを当ててみました。三助の存在が、日本のお風呂文化を再考するきっかけとなれば幸いです。


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